大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成元年(う)112号 判決 1989年5月17日

主文

原判決を破棄する。

本件を横浜地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人赤池基輝作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官佐野眞一作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決は被告人が「昭和六三年七月五日ころ横浜市金沢区六浦四丁目五番六浦公園脇路上に駐車中の普通乗用自動車内において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン約〇・〇四グラムを含有する水溶液約〇・二五ミリリットルを自己の左腕肘内側の血管に注射し」て使用したと認定しているが、被告人の尿中から覚せい剤が検出された点は、被告人がパブディスコ「アストロ」で外人から貰い受けたトリップ剤(カプセル入り)の中に覚せい剤が入っていたためと窺われるものの、被告人においてこれを嚥下するに当たり、そのカプセルの中味が覚せい剤であることの認識がなかったのであり、また、原判決が措信し得るとした被告人の司法警察員に対する昭和六三年八月一一日付、同月一二日付及び同月一八日付各供述調書は、取り調べに当たった警察官から否認していれば刑が重くなるが認めれば軽くなるという趣旨のことを言われて、被告人が心理的な圧迫を受け、警察官の巧妙な誘導と入れ知恵に迎合した結果、作為的に創作されたものであって、任意性・信用性を欠き、証拠から排除さるべきであり、そうすると本件起訴事実は合理的な疑いをさしはさむ余地のない程度に証明があったとはいい難く、いずれにしても無罪であるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りがあるというのである。

そこで検討するに、本件公訴事実は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和六三年六月下旬ころから同年七月八日までの間に、神奈川県内又は東京都内或いはその周辺地において覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を自己の身体に施用し、もって、覚せい剤を使用したものである。」というものであるところ、原判決が、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和六三年七月五日ころ横浜市金沢区六浦四丁目五番六浦公園脇路上に駐車中の普通乗用自動車内において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン約〇・〇四グラムを含有する水溶液約〇・二五ミリリットルを自己の左腕肘内側の血管に注射し、もって、覚せい剤を使用したものである。」との事実を認定判示していることは所論指摘のとおりである。また、原審で取り調べた各証拠によると、被告人が昭和六三年七月八日午後五時過ぎころ尿を排泄して任意提出し、この尿について鑑定の結果フェニルメチルアミノプロパンが検出されたこと、右七月八日に被告人の両腕の肘内側に注射痕が残っていたこと、同年八月四日に横浜市金沢区六浦○丁目×番△号○○住宅一〇〇号の被告人方の捜索が行われた際、被告人居室から注射器(針付)四本が発見され、これらについて鑑定の結果、うち二本にはフェニルメチルアミノプロパン(微量)の付着が認められたこと、同年七、八月ころ被告人が自分の使用する自動車一台をいつも同六浦四丁目五番六浦公園脇路上に駐車していたことなどの事実が認められる。そして、尿から覚せい剤が検出されたことから、被告人が右尿を排泄した直前ころからその約二週間前ころまで、すなわち同年六月二四日ころから同年七月八日ころまでの間に覚せい剤を摂取したことも経験則上当然に推認できるのである。更に、右のような諸事実のほか、原審で取り調べた各証拠によって認められる被告人の従前の覚せい剤の使用歴、被告人の当時の生活状況等を合わせ考えれば、被告人が右期間内に覚せい剤と知って自己の身体に施用したことも肯認することが可能のように思われる。

ところで、原判決が被告人の覚せい剤の使用について、前示のように日時場所を特定し、かつ、注射という使用方法によった旨認定したのは、原判決中の「補足説明」の項で説示しているとおり、被告人の司法警察員に対する昭和六三年八月一一日付及び同月一二日付各供述調書中の右認定に対応する内容の自白に基づくものである(同月一八日付供述調書は、否認調書であって、自白調書ではない)。この点、所論は、右自白は任意性を欠くものであり、内容的にも事実に反するものであると主張しているが、任意性については「補足説明」の項で示した原判決の判断を一応維持できる。すなわち、関係各証拠によれば、被告人は、同月四日に逮捕された直後から覚せい剤使用の事実を全面的に否認していたが、同月一一日、司法警察員荘野和俊から取調べを受けた際、当初は否認を続けていたものの、同人から、尿から覚せい剤の反応が出ているのだから認めた方が情状的によいのではないか、過去の事例で否認していて重くなった者もいれば認めて軽くなった者もいる、こういう刑期で行った者もいるなどといういわゆる説得を二、三〇分にわたり受けたのち、覚せい剤を入手した状況、原判決の判示するような日時場所で、原判決の判示するような量の覚せい剤の水溶液を注射した旨自白し、翌一二日にも使用場所の引き当たり捜査において右自白に相応する指示をし、また、司法警察員服部己海の取調べに対しても同趣旨の供述をし、ところが同日夕方に検察官から取調べを受けた際再び態度を翻して全面的に否認し、同月一八日に荘野に対しても先に自白したような事実はなかったことにして欲しいという趣旨の供述をし、また、自分の尿から覚せい剤の反応が出たことについて、自分が横浜のディスコ「アストロ」で外国人から貰ったトリップ剤を覚せい剤が含まれていることを知らずに飲んだためと思うという弁解を始め(同日付の供述調書にこれらの供述が記載された)、その後は検察官の取調べにおいても、更には公判段階においても右弁解で貫いていることが認められる。そうすると、荘野が被告人に対し同月一一日に行った取調べは、被告人に自白すれば自分の刑が軽くなるのではないかと思わせるような説得を伴った点でやや適切さを欠くものというべきであるが、右説得が約束による利益誘導ではなかったものと認められ、また、強制、拷問、脅迫等を伴うものではなかったことは明らかであって、その際得られた被告人の自白は、なお被告人のその前後の供述態度の変遷にも照らし、任意にされたものと認めることができる。

しかし、被告人の右自白の信用性については、自白の内容を仔細に検討すると、疑念が生ずる。すなわち、被告人は、八月一一日付供述調書中で覚せい剤を注射したいきさつとして、「注射した前日つまり七月四日ころの午後三時ころに中区寿町にあるパチンコ店大亜門でパチンコをやっていたところ、私の所に年令四〇才位で遊び人風の男が来て、……パチンコ屋の便所の中で、実は金がなくて困っているんだ、悪いけどこれを金にしてくれないかと言って、ポケットからパケ一袋つまり覚せい剤を入れているビニール袋を出して見せたのです。……男は、シャブですよ、どうしても金がいるんで五〇〇〇円でいいですからと言うので、私も……男の言うままにシャブ一パケを五〇〇〇円で買ってやったのです。」「私はシャブを持って家に帰りその日は手をつけずに、ポケットに入れたままにしておいたのですが、日の明けた本年七月五日午前六時ころに目がさめ、何もすることがなく、前の日にシャブを買っていたことを思い出し、ジケたくなったつまり注射したくなったので、前に使っていたポンプつまり注射器が今回私が捕った際に押収された紺色の紙袋に入れてタンスの奥に入れてあったのを思い出し、これを出して来て、使い捨てで銀色の針のついたポンプとシャブを持って、家の近くの六浦公園へ行ったのです。」と述べ、引き続いて具体的な使用状況について供述している。一方、被告人は、原審公判廷において、八月一一日付供述調書に記載されている自白は内容的に荘野が勝手に創作した作り事であり、まず覚せい剤を入手した日時についても荘野から「何日にしようか」「七月五日ぐらいにしよう」と言われたものであり、入手場所も荘野から「場所は寿町でいいな」と指定されたうえ、パチンコ店で知っているところはないかという趣旨のことを聞かれて、現在あるかどうか分からないが、たまたま被告人が昔行ったことのある「大亜門」というパチンコ店の名前を知っていたので、これを荘野に話したところ、「じゃそこにしよう」ということで調書に書いたものであり、使用日時は翌日の午前六時ころとし、使用場所についても、荘野と被告人との間で「家の近くでどこか公園ないか」「家のすぐ近くに六浦公園があります」「そこの公園には水道があるか」「あります」「じゃあそこで打ったということにしよう」などという問答をしたうえ、被告人としては戸外で注射をしたということになると具合が悪いと考え、公園脇に止めてあった自分の車の中で注射したことにしようと申し出て、その旨調書に記載されたと述べている。そして、このような被告人の公判段階における供述と対比して八月一一日付供述調書中の自白の信用性について検討しなければならないところ、被告人が使用場所として自白した六浦公園やその脇に止めてあった被告人の自動車については、警察官らが被告人を同行して引き当たり捜査を行い、自動車の存在も確認しているが、横浜市中区寿町に「大亜門」という名前のパチンコ店があるかどうかについては、荘野も原審公判廷における証言中でこれを確認していないと述べており、更に当審における事実取調べの結果を合わせ考えると、昭和六三年七月四日ころには被告人の述べる場所には「大亜門」という名前のパチンコ店は存在しなかった可能性が強いと窺われ、したがって、被告人の右自白中本件で使用した覚せい剤を「大亜門」で入手したと述べる部分は内容虚偽である可能性が大きい。のみならず、本件においては、覚せい剤の使用日時や場所、具体的な使用状況について述べる部分と、覚せい剤の入手状況について述べている部分とを切り離してその内容の真否を考えることができない。入手状況も、使用した覚せい剤の特定という面で使用に直接のつながりをもつものであることはもちろん、本件では、使用した日時が入手した日の翌日朝であるということで、日時の特定にも直接に関連し、また、覚せい剤を被告人方に持ち帰ったということと使用した場所が被告人方近くの六浦公園脇に駐車中の被告人の車の中であったということとの間にも、いわば成り行きがそうであったということでかなり強い結び付きがあり、結局、入手状況に関して述べる部分と覚せい剤の使用自体に関する自白とは内容的に一体をなすものとして、その信用性について考えるべきであり、入手状況に関する部分の信用性について疑問が生じたときは覚せい剤の使用状況に関する部分の信用性についても疑問が生じたというべきである。すなわち、被告人が右自白中で入手した場所として述べる「大亜門」という名前のパチンコ店が実在しないということになれば、そこで入手したという覚せい剤の使用について述べる部分についても、その信用性に大きな疑いが生じるのである。

以上から結局、本件訴因の範囲内において被告人が覚せい剤を使用した事実を認定するにあたり、その使用の日時、場所、使用の具体的方法の特定に関して、原判決には証拠の信用性の評価、判断に誤りがあると考えられる。すなわち、被告人の右自白の信用性に関し十分に審理を尽くすことなく、これを全面的に信用できるものとして右自白どおりに日時場所を特定し、かつ、注射という使用方法によったと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りがあるというべきである。所論は、この点において理由がある。

よって、所論その余の主張についての判断は省略し、刑訴法三七九条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条本文に従い、更に審理を尽くさせるため、本件を横浜地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 船田三雄 裁判官 松本時夫 裁判官 秋山規雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例